カザフスタン在住の私たちがセルビアにベタ惚れした3つの理由 8

ベオグラード旧市街の一風景

「趣味は?」と聞かれて真っ先に「海外旅行」と答えるくらい、海外を旅してまわるのが好きだった自分も、まさか旧ユーゴスラビアの国、セルビアをいつか訪れることになるとは思っていなかったのだが、今回色々まわりまわって滞在することになったセルビアの首都ベオグラード

隣国のモンテネグロの海岸沿いはロシア人の観光地としてそこそこ有名らしく、ロシア人の主人は「いつかモンテネグロに行ってみたい。できれば移住したい。」と言い続けて約3年。

結婚前からの思い入れがようやく叶うかと思いきや、カザフスタン国籍のビザの問題であえなく断念し、「しょうがないからセルビアに行くか」的なノリで訪れることになったベオグラード(このあたりの詳細は過去の記事にて)。

 

旧ユーゴスラビアの国のなかだと、日本人ならクロアチアのほうがよほど観光名所が多く、訪れてみたい国かもしれない。世界遺産もあるしアドリア海に面した風光明媚な場所も多い。それに代わって、セルビアといえば内陸国だし、これといった世界遺産もなく、イマイチパッとしないというか、わざわざ訪れるほどではないという感じ(少なくとも以前の自分の中での位置づけはそんな感じだった(ゴメンよ、セルビア)。

 

しかし、ベオグラードはなかなかいいところなのだ。

 

「いつかはモンテネグロに」といっていた旦那も、今回の滞在で「できるだけ早くセルビアに移住しよう」と言うようにまでなった。

 

今回の記事では、私たち夫婦が移住までしたくなったセルビアの良さを食・気候・人の三つのポイントにわけてアピールしてみたいと思う。(「日本からセルビアに行った日本人」ではなく、「カザフスタンに3年住んだ後の日本人」の視点で、カザフスタンとセルビアを比較しながら書いてみました。)

安くて美味しい!セルビアの食

日本からセルビアにいったとしたら、そこまで感動しなかったかもしれないが、カザフスタンの食の乏しさに疲れ果てた私にとって、ベオグラードのスーパーや街中のパン屋さんはまさにキラキラと輝く宝箱のような場所だった。

ベオグラード街中の八百屋
ベオグラード旧市街にあるお洒落な八百屋さん

 

カザフスタンは、中部以北に住んでいると、特に11月以降~3月くらいまで、雪に追われるため、作物は当然育たず、カザフスタン南部やウズベキスタンからの野菜や果物のみとなるのだが、当然ながら鮮度に欠けるし、何より価格が一気に2倍以上になる。

例えば、夏場は1キロ150円程度で買えるナスは、冬場は1キロあたり350円くらい。キュウリは夏場は1キロ120円、冬場は220円くらいが相場だ。

日本人の感覚だと、冬場の値段だって日本より全然安いじゃないか、と思いたくなるが(実際この国に初めて来たときはそう思っていた)、この国の物価に慣れてくると、こういう値段を払ってまで鮮度がなくて疲れきったような野菜を買うのはバカバカしいと思ってしまうのだ。

 

そこそこ冬場でもまともなのはジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、キャベツ、そしてロシアといえばの「ビーツ」くらいで、この4種類の野菜をメインに、あとは夏場に塩漬けにしたキュウリやトマトを食べて冬場を過ごすというのが大抵の家庭の状況。カザフスタンに来てからは、日本で普通に売っているほうれん草や小松菜などの葉物類、オクラ、サツマイモ、エノキやしめじなどを記憶から葬り去らないと生きていけない。日本の食の豊かさは本当に素晴らしいのだ。

 

前置きが長くなってしまったが、セルビアの食はどうか、というと、とにかく果物と野菜が安くて美味しい

市場だとリンゴは1キロ50ディナール(約60円!!)で買えるし、レタスなどの葉物野菜も新鮮で生き生きとしたものが100円弱で手に入る。

ちなみに、じゃがいもや人参、玉ねぎ、キャベツなどは1キロ当たり30~60ディナール(約36~72円)。夏場のカザフスタンの価格より安いんじゃないか、というくらいだ。

カザフでは高いブロッコリーやカリフラワー、紫玉ねぎなんかも安く手に入り、心も体も潤っていくのを感じたのだった。

 

現地で知り合いになった日本人夫婦の話によると、ベオグラードには中国市場があり、そこに行けば納豆や豆腐もあるし、時々レンコンとかサツマイモ、サトイモまで見かけると。(これは驚きだ!!)

 

カザフスタンでは、鶏肉、牛肉、豚肉すべて骨付きが当たり前で、料理が非常に面倒なことが多いのだが、ベオグラードのスーパーでは日本のように部位ごとにきれいに切り分けられていて、それでいて値段もカザフとさほど変わらない(日本よりはもちろん安い)。

 

セルビアは農業国なので、野菜や果物は特に安く、ウィンナーやサラミなどの加工肉食品も驚くほど美味しいものが気軽なお値段で買える。何もわざわざレストランに足を運ばずとも、普通にスーパーで買った食材で料理をするだけで、とても美味しい夕食をこれまた安くて美味しいワインとともに楽しめる。ビバ!セルビア!

ベオグラードのスーパー
ベオグラードのスーパー。セルビア産のサラミやウィンナーがたくさん!
ベオグラードのパン屋
ベオグラードにあるパン屋さん。パンのほかにサンドイッチやピザ、スイーツも。

とにかく、カザフスタンから来た私たち二人にとっては、何もかもがおいしい!というイメージだ。(気に入ったレストランやカフェはまた別の記事にまとめる予定)

 

 

さらに私たちがベオグラードが気に入った理由は・・・↓

住みやすい環境と居心地の良い街並み

 以前の記事にも書いたが、カザフスタンは気候が非常に厳しい。ロシア語だとРезко-континентальный климат(レースカ コンチネンターリニー クリマト)といわれ、気温差が激しいことが特徴の「大陸性気候」の前に「極端な」という意味のРезкоという単語がくっついている。

夏場も今日35度まで気温が上がったかと思えば次の日は15度くらいしかないなんてこともしょっちゅうだし、冬は冬でマイナス35度くらいまで気温が下がったりする。生きていくのは大変ではない。加えて、天然資源の採掘やバイコヌールからの影響、また古い自動車やディーゼルが走っているせいで空気も悪く、水も悪いところが多い。

 

それと比べてベオグラードは・・・というと、11月の終わりから12月にかけての気候は日本の東京の真冬くらいの気温で、ほどよくしっとりした空気が非常に心地よい。冬場は日が落ちるのが非常に早く、16時を過ぎると次第に暗くなっていくのだが、これくらいの気候ならもちろん暖かく着込んで街中を散歩することだって可能。以下の2枚の写真から、気候の違いが少しわかってもらえるのではないかと思う。

カザフスタン中部の11月末の景色。すでに雪に覆われ、緑はない。
カザフスタン中部の11月末の景色。すでに雪に覆われ、緑はない。
ベオグラード11月末の景色
ベオグラード11月末の風景。木の葉はだいぶ落ちているものの、芝生は青く、しっとりとした空気。

 

滞在していたB&Bはベオグラードのスターリ・グラード(旧市街)で、近くに名所もあり、古いヨーロッパの建物も多く、道は黒い石畳で美しい街並みが多い。ひんやりとした空気のなか、美しくライトアップされた街を歩くのはなんともロマンチック。もちろん、どこもかしこもというわけではなく、アスファルトで舗装された道やコンクリートの灰色の建物といった日本の街を思わせるようなところも結構ある。

カザフスタン中部の山も丘もなく、道が無駄に広い土地にすっかり慣れてしまった私は、街中に坂道があって、一方通行の狭い道に3階建てくらいの建物が並んでいるだけで、なんだか懐かしい気分になった。

 

写真での比較をしてみると・・・

カザフスタン中部の街の一風景
カザフスタン中部の街の一風景。大体どこもこんな感じで、道も空も広い。
ベオグラード旧市街の一風景
ベオグラード旧市街の一風景。道路も広くなく、街のスケール感がいい感じ。
ベオグラード旧市街にあるレストラン街
ベオグラード旧市街にあるレストラン街。石畳の美しい通りだった。
ベオグラードの古本市
ベオグラードの古本市。狭い通りがいい感じ。カザフスタンではまず見られない風景。

 

市内を走るバスやトラムも電線からの電力で走るエコロジカルなものが多く、空気は幹線道路沿いを歩く場合を除いてさほど息苦しさを感じることはない。街の中には緑も多く、サヴァ河畔には自転車用と歩行者用の道が川に沿って10km以上続いていて、ランニングやサイクリングなどのフィットネスにもうってつけだ。

 

そして水。ヨーロッパでも水道水が飲めない都市は結構あるが、ベオグラードは水道水を飲んでも大丈夫だから驚きだ(実際に水道水から飲んでいたが、おなかの調子も良好だった)

日本から来た日本人にとっては、そんなに感動するほどではないかもしれない。が、ヨーロッパで、ヨーロッパと日本の雰囲気を味わえるベオグラードは、カザフスタンの生活に疲れた私にとっては癒しのひと時だった。

 

 

そして、もうひとつ、大切なポイントは・・・

セルビア人はいい人たちだ

旧ユーゴスラビアの国、というと激しい民族・宗教の対立で長く内戦が続いていた国のためか、人が良いというイメージはあまりなかったのだが、セルビアの人たちは本当に親切だし、フレンドリーだ。

3週間の滞在のなかで、現地の数多くの人に大小さまざまな場面で助けられた。道を聞けばちゃんと私たちに分かるようにと気を使いながら丁寧に説明してくれる。(カザフスタンでは、道を教えてくれはするのだが、間違った情報を自信満々に教える人が少なくない。分からないなら分からないと言ってくれればいいのに・・・と思う。苦笑)

カフェやスーパー、交通機関などで働く人たちのちょっとした対応の仕方、街中を歩く人々を見ていて、この国の人々の温かさが伝わってきた。少し前まで、争い合っていたような民族にはとても思えない、というのが本音だ。

滞在先のB&Bのオーナーから聞いた話だが、彼の親族が住むオーストラリアのメルボルンの人々は、非常に個人主義が強くて人づきあいが悪いのだという。隣同士に10年以上住んでいても全く互いのことを知らない、困ったことがあっても親身になって助けてくれる人は誰もいない。(オーストラリアへのイメージはそんなに悪くなかったので、驚きだった)。オーストラリアで育ったものの、その個人主義に嫌気がさしてセルビアに戻ってきたらしい。そんなセルビア人の彼も、非常に気遣いにあふれた親切なオーナーだ。滞在中に私たちの結婚記念日があるということを知った彼は、その日を覚えていて、当日ワインまでプレゼントしてくれた。

 

ちなみに、セルビア観光を考える人が気になる「治安」は、街全体が穏やかな感じで、「治安は全然悪くない」と私たちは感じた。暗くなってからも人通り、車の通りがそこそこあり、街の中心部は夜遅くまでお店やレストラン・カフェなどが営業しており、街中を一人で歩くのも怖くなかった。

ただ、スリはそこそこあるようなので十分注意が必要。基本的に観光先として選ぶのは治安的には全然問題ないと思う。

 

セルビア移住計画

私たち夫婦は三週間の滞在でセルビア、ベオグラードがすっかり気に入り、1年後には移住してこようという気持ちにまでなった。もちろん、いいことばかりではなく、問題もある。経済危機といわれて久しく、仕事を見つけるのは非常に大変だし、今後EU加盟に向けて様々な行政改革が行われていく過程で物価の上昇や失業者の増加も懸念されている。そういう状況の中、外国人の私たちが個人事業主として働き出して、どれほどうまく事が運ぶのか、不安でしょうがなくなることがある。

が、夫のほうは「最初の1年は大変だろうけど、なんとかやっていけるはずだ」という感じで、さほど心配していない。カザフスタン育ちのロシア人の夫は、周りにカザフスタンを離れて世界各地へと移住していった人をたくさん知っているため、そもそも「移住」するということを日本人が考えるよりよほど気楽に考えているし、カザフスタンという国への思い入れは全くないのだそうだ。移住の大変さと、カザフに住み続ける大変さを天秤にかけた時にどちらが大変か、と考えればおのずと出てくる結論は「移住」になってしまうのかもしれない。

 

追記) カザフスタンでは何でも気軽に計画し、気軽に計画倒れする事が多いので、セルビア移住計画が実現する日が本当にやってくるのか、それは誰にもわかりません(苦笑) 今年の終わりごろには当ブログでも移住の報告ができることを願いつつ、今回の記事はここで終わりにしようと思います。

 

 

 

8 Comments

  1. 楽しくブログ読ませていただきました。
    私も最近セルビアにすごく興味がぁり、来年に訪れる予定です。

    面白いビジネスをやりたいなと密かに考えています。

    1. Chuckさん、こんにちは!コメントありがとうございます。

      セルビアで面白いビジネス… いいですね!^^

      私は先日セルビアに引っ越してきまして、まだ日も浅いですが
      今のところ、なかなかいい国に来たな~と思っています。

      今後はセルビア情報もアップしていくのでよかったらまたブログに
      遊びに来てくださいね。

  2. セルビアに移住したい・・・ですか。今と当時では全く状況も違っていそうだということは想像できます。掲載されている写真を眺めても、随分と豊かになったなという印象です。

    当時も日本人にとっては食べ物は安価でした。カイマックが個人的には好きでした。また、肉製品の種類の多さも、意外と新鮮な魚も手に入り易くて、自炊が好きな私は、食べることには苦労しませんでした。当時は生野菜は季節のものしか手に入らず、冬はカザフスタンと似た状況でした。今では輸入野菜なども現地人が購入できる余裕が出て来たのでしょうね。

    現地人の労働意欲の無さは相変わらずでしょうね。「8時間も働いちゃったよ。もう休まないと死んじゃう」なんて台詞は極ありふれたものでした。

    スラングの多さはどうでしょう。今でも変わらないかな。セルビア語の本が出版される量は増えたのでしょうか。2003年当時は、哀しいがな、翻訳本か戦争前のユーゴスラビアの古本しか無く、文化的貧困を痛感しました。

    スポーツの試合がクロアチアのチームとある場合、大使館への投石などは今でもあるのでしょうか。当時はそんなことは日常茶飯事でした。他方、矛盾した響きになりますが、当時のベオグラードは幼子が独りで繁華街を歩いていても危なくない程に治安の良かったです。今はどうなのでしょう。

    どちらかと言えば、無駄な苦労を買ってしまった感じで、あの国に個人的に戻りたいとは思いませんが、懐かしさはあります。

    キオスクでビールの立ち飲みをしながら、売店のオバサンや近所のオッサン達に「彼女はできたか?セルビアには良い女が沢山いるぞ」と毎回お節介を焼かれ、料理の作り方をあれこれ喋り、仕事の愚痴を言い合っては、BICE BOLJEと呟く。今はもう、そんな呟きを頻繁に聞くことは無いのかもしれませんね。

    懐かしくて、ついコメントしてしまいました。

    1. マカカちゃんさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

      2009年ごろのセルビアを想像しながらとても興味深く読ませていただきました。

      失業率の高さは相変わらずの大変な国ですが、最近はSava川沿いの再開発が進み、
      街の様子も毎年良くなっていっている感じがします。

      スポーツの試合はあまり見に行かないので良く分からないですが、
      周辺諸国との関係はまぁまぁ落ち着いているでしょうか。。

      スリにさえ気を付ければ、今も街中は治安はいいと思います。
      暗くなっても一人で歩くのを心配することはないです。

      良くも悪くもここの人たちは誰かと会話することが大好きなので
      アジア系の顔をした私でも、何度か同じお店にいくと大抵定員さんは
      何かしら話題をみつけて話しかけてきますが、
      そんな若干おせっかいで、でも人間味のある人たちが私は結構好きで、
      セルビアはまだしばらく住んでいたいなと思っています。

      愚痴は相変わらず、最後に
      Bice boljeというか、Sve gore i gore…と嘆くかですね。。

  3. 戦後の傷跡が残る頃と今とでは随分雰囲気が違うのかもしれませんが、当時は耳障りな言い回し(スラング)に気分を害することも、結構頻繁ありました。セルビア語とロシア語は大阪弁と標準語の違い位の差があって、悪意が無いとセルビア人よりの理解を把握したとしても、そんな下品な文化を受け入れる必要は無いと感じてしまいました。

    【注】関西弁の喩えは大阪の人にはご勘弁。でも、「死ね!ボケ!カス!」を「若造、しっかりしろ!もっと頑張れ!」と翻訳するのも無理です。関西のボケと突っ込みのカルチャーが好きな人にはセルビアは共鳴し易いかもしれないと、これは当時も思いました。

    後、気になったのは「私達の」という形容詞がやたらと多いことでした。当時はセルビアという国へのアイデンティティが人々の中で揺れ動いていたのでしょうが、あまりに多くそれが口にされるのにも辟易としていました。「そんなの知らないよ。関係無いし」。

    また、数カ国語を話して、理系の教育を受けた人間とは仲良くなり易かったですが、彼等は国を捨ててしまうので、それを何度か見送ったのも虚しさを増幅させました。まあ、戻って来易いから、ポイ捨てするのも簡単なのでしょうが。

    肉屋さんで働く可愛い女の子をナンパして、一緒にお茶したり、友達とビールを飲んだり、勿論、そういう愉しい時間も過ごしましたが、セルビアで一生付き合い続ける友達は得られませんでした。当時の私は今よりも精神的に弱かったのかもしれません。旧ソ連圏では長く付き合っている仲良しが多くいますが、仮にユーゴスラビアで戦争が起きなかったならば、今もセルビアにいて、ロシア語は知らないままだったかもしれません。

    それにしても、随分と変わったのだなと改めて驚きます。時々記事をチェックしに来ますね。楽しみにしています。

    1. 返信が遅くなりスミマセンでした。

      セルビア人が使う「下品な言葉」「汚い言葉」についてですが、ロシア人の夫も嫌だと言っていました。
      ロシア人はそういう言葉を使う人たちはいても、それを礼儀正しくないと憤慨する良識のある人たちも多いですが、セルビア人の場合、そういう言葉に慣れきってしまった人が多く、何の意味もなくただ単に下品な言葉を何度も会話の中に挟むと。

      また、ロシア語を話せるセルビア人が、わざわざロシア語で会話の中に下品な言葉を使ってくることがあるそうです。セルビアに住んでいるロシア人はそういう言葉を使わないのに、なんだか変だし理解できないと言っていました。そういうところは当時も今も変わっていないんでしょうかね…(汗)

      私はそこまで分からずノホホンと生きていますが(笑)。あと数年たったら分かってくるかもしれません。

      マカカさんがここにいらした時代はやはり今よりも随分大変だったのだろうなと思います。
      戦後からこの国に住んでいるイタリア人の知り合いがいるのですが、「セルビアの人たちが明るく笑顔になったのはここ数年前くらいからだ。戦後はみんな厳しい顔つきだった。。。」と言っていたのを思い出しました。

      私の知らないセルビアについての一面をメッセージから拝見することができました。貴重なコメントをありがとうございました。

  4. 私がベオグラードにいた頃、jagoda u supermarketu を見ました。あの映画の雰囲気は今はもう無いのだと思います。ネット上で簡単に見つけられます。暇なときに見てみると、当時はこんな感じだったのだなと当時のセルビアを垣間見れます。汚いスラングもありますが、それよりも妥協と自己愛の弱く斜に構えたセルビアがそこにはあります。大国の地位から転がり落ちた歴史もあり、仕方無いのですが、武士は食わねど高楊枝といった感じで日本人としては共感し易い愚かさだったりするのかもしれませんね。少しお下品なのが玉に瑕ですが。

    空元気のある人達なので、みんな厳しい顔つきというのは極端ですが、そういう変化は実感としてあるのだろうという気はします。世代間ギャップも10代、20代、30代といった若い人達の間でも相当にあるでしょうね。ユーゴスラビアを知らない、内戦を知らない世代が年々増えるのだから、それは当然ですね。

    変化は色んな所に出ていると思います。違いの1つは例えばサッカーのクラブの財政なんかも変化していると思います。自分がいた頃は貧乏なサッカー選手が多く、バスで移動していると、横にいるのがサッカー選手で、しかも、それがトップリーグでプレイしているなんてこともありました。今ではそういうことはもう無いのでしょうね。高給取りになれば、自らの車で移動するでしょうから。

  5. あと、これは余計なお世話かもしれませんが、セルビアの水道水は今でも石灰質が高めだと思います。一年かそこらでは影響は出ないのでしょうが、長く滞在するのであれば、逆浸透膜浄水法やイオン交換法、蒸留法といったキーワードで調べて、対策を取った方が良いのかもしれません。鍋で水道水を沸騰させると白くなると思います。ドイツかオーストリア辺りの近場でそれ用の対策品を買うか、飲料水は買うようにするか、これは考え方にも寄りますが。日本では水道水に石灰質が多いことは無いです。例えば、東京は50%程度は井戸水を今でも利用しており、また、日本のフィルタリング技術は世界一なので、その心配はありません。日本はセルビアなどにも、もっと技術を売りに行くべきでしょうね。鈍重な外務省は何もしないからなぁ・・・。(万が一、状況が変化していたら、すいません)。

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