ロシア語圏の一つであるカザフスタン共和国に住んで早4年目。離婚・別居の話をあちこちで聞きますが、その頻度には驚きを隠せません。
統計によれば、ロシア連邦では
「100組のカップルのうち、80組が離婚に至る」
という衝撃的な数値を記録しています。つまり離婚率80%!!!
これは2010年の統計ですが、専門家は「その後、数年間も同様の高離婚率が続くだろう」との予想をしているので、現在も大きくは変わっていないと思います。以下は情報源のウェブサイトからの抜粋
По информации Росстата, в 2010 году в РФ наблюдался пик распада семей – на 100 регистрируемых браков пришлось 80 разводов. И, по мнению экспертов, это соотношение сохранится в ближайшие годы, если российские семьи по-прежнему останутся социально незащищенными.
私の住むカザフスタン共和国ではどうかというと、2013年の統計で国全体の平均離婚率が34%でした。
「あれ?そんなもん??」と逆に驚いてしまいましたが、実は地域差が激しかったのが理由。
カザフ民族が多く、家族間のつながりの強い南部では、離婚率は30%を切るところもあったんです。逆に、中部~北部のロシアに近い地域では、離婚率は55~60%以上にまで上昇します。この地域には、ロシア人が多く住んでおり、またこの地域のカザフ人はロシアナイズドされているため、離婚率が高くなってしまっているということですね。(ちなみに私は中部地方に住んでいます。)
地域別2013年離婚率(一部のみ抜粋)
- パブロダールスカヤ地方(北部):61.6%
- コスタナイスカヤ地方(北部):58.1%
- カラガンデインスカヤ地方(中部):57.5%
- クズロルディンスカヤ地方(南部):26.1%
ロシア人について語るうえで、この「離婚率の高さ」は避けて通れないテーマ。この記事では、私が観察したことや、ニュース、また現地の人の情報をもとに、高い離婚率の原因を解剖してみたいと思います。
※個人的な主観や地域性による情報の偏りが多少あるかもしれませんのでご了承のうえお読みください。
「ソ連時代は良かった」
これ、現地のおじいちゃん、おばあちゃん世代がよく口にする言葉なんです。
日本人の感覚からするとかなり奇妙に感じませんか?
私はカザフスタンに住んでしばらく経つまで、「ソ連といえば、食べ物も物もなくて、寒くて、生きていくのが過酷な、灰色がかった白黒のイメージ」しかありませんでした。
実はそういうのはソ連崩壊直前くらいの話で、ソ連という体制がちゃんと機能していたころは、みんな平等に働いて食べ物もおいしくて、物もみな質が高く、好きなところに旅行できた、という、かなり住みやすい環境だったようです。
現地の人の話を聞いていると、「ご近所さんや家族・親族も仲良く互いに助け合う関係だった。鍵なんてかける人は誰もいなかった」と皆口をそろえて言います。
こういう状況だったので、当然離婚も少なかった。もちろん、アルコール中毒の人や働かない人、浮気をする男性など、いなかったわけではないですが、そういう人たちは発覚次第、通りに「○○(誰)がxx(こんな悪事)をした」というような内容の張り紙が張られ、見せしめになったという。
有名なソビエト映画БРИЛЛИАНТОВАЯ РУКА (ダイヤモンド・アーム)の一シーンにも、こういう張り紙が貼られているところがでてきます。酔っぱらって大騒ぎしたことが不評になっている模様。
写真元:http://www.kino-teatr.ru/kino/acter/m/sov/3816/foto/m649/151066/
ある友達があるときこんなことを言っていました。
「ソ連時代は今みたいに仕事がなくて困ったり、生活が困難になることはなかった。
ただ、みんな恐怖のもとで生きていた」
彼女の言葉を聞いたとき、私は「あまり生きた心地がしなかったんじゃ・・・」と思ったのですが、夫の話を聞いたり、ソビエト時代の映画を見てからは、そんなに「恐怖」っていうほどのことではなかったのかなとも思いました。
ある意味、「何かしたら罰は逃れられない」という気持ちが人々の中にちゃんとあって、それが悪いことをするのを留める役割をしてくれていた。ということでしょうか。
これが、ソ連崩壊と同時にガラっと崩れたわけです。
ソ連崩壊と経済不安・失業が離婚の増加を招いた
ソ連が崩壊した直後の生活は、聞いただけで想像を絶するものでした。政治・経済のシステムがゼロスタートっていうのは本当に大変なことなんだ…と。
「外気温マイナス20度の冬に家の中に暖房がなくてありったけの服を着込んで寝ていた」
「本当に食べるものがなかった。その辺に生えている草とかを調理して忍んだ」
などなど。戦争の後のような感じですね。。
特に問題になったのが失業。
ソ連時代はみんなに仕事が割り当てられていて、仕事を探さないといけないなんてことはなかった。
それが、
仕事を探しても仕事がない。
↓
仕事がないということは、家族を養えない。
↓
多くの男性にとって大きな精神的ダメージ
↓
お酒の力を借りないとダメになってしまう男性がでてくる
&ロシアのお酒は強い(ウォッカはアルコール度数40以上)
↓
アルコール中毒になる
↓
酔っぱらって自分を制御できなくなり家庭内暴力・浮気・不倫が始まる
↓
酔っぱらった浮気夫に、妻がものすごい剣幕で怒りをぶちまけ、罵声、非難の応報になる。
(ロシア人は基本、気に入らないことがあったら自分の気持ちも考えも直球でバシー!!と言う人が多い。夜中にこういうのがご近所さんで起こると、壁や床を通して罵声が聞こえてくる。かなり激しいです。苦笑)
↓
上記の状況が何度となく繰り返される
↓
別居、離婚
というのが、かなり典型的なケースのようです。実際私も、こういう話は幾度となく聞かされました。
子は親を見て育つ
とても残念なことですが、親がアル中、家庭内暴力が当たり前の家庭にいると、子供は相当な精神的なダメージを受けてしまいます。ダメージというか、それがある意味「精神的欠損」のような状態に至るというのか。
私は心理学者じゃないので学術的なことは何も言えませんが、
- 親がアル中⇒ 子供も大人になるとアル中に
- 親が家庭内暴力をふるう⇒ 子供も大人になると自分の家族に暴力をふるう
という風に、負の遺産が引き継がれていってしまうことが多い。
親のそういう状態を見て、自分は絶対そうなりたくないと固く決意し、幸せな家庭を築いている人たちも、もちろんいますが、どちらかというと、悪い親の習慣が子に引き継がれていくケースの方が多いように感じます。
ソ連崩壊からある程度時間がたった今でも離婚率が低くなっていかないのは、引き続き存在する失業の問題とともに、親から受け継いだ悪習慣が重なっていることが原因なのではないかと思います。そしてもう一つ。
西側諸国の「自由」が与える影響
さらに追い風をかけるのが、西側諸国の「自由な」モラル感。これもソ連時代にはかなり厳しく統制されていたものです。
ソ連が崩壊し、
- 結婚するも離婚するのも自分の自由
- シングルマザーも同棲も問題ない
- 価値観が違う人と一緒に居続ける必要はない
というようなヨーロッパ諸国の道徳観が入り込んできたことで、人々の価値観も変わった。ソ連時代には眉をひそめるような話題だった離婚、不倫、同棲が何でもアリになった。これも、今の離婚を後押しする大きな要因の一つだと思います。
他にも色々理由はあると思いますが、だんだん書いていてションボリしてきたので、この辺でやめておきます。
よくある普通の日本の家庭で育った私には、この土地の家族の崩壊度には胸が痛んでやみません。もちろん、現地の人たちも心を痛めている人たちは多くて、それが身内のなかで起きている場合はなおのことです。こういう状況で一番ダメージを受けるのは子供たちで、それもまた本当に可哀想としか言いようがありません。
ちなみに・・・
ロシア人は一度離婚したらそのまま一生を過ごすのか
というとロシア人は、めげません(笑)
大抵の場合は、その後、2回、3回と結婚・離婚を繰り返していきます。子供も、1番目の夫の子供、2番目の夫の子供がいて、子供が育ちあがってまた別の人と結婚、ということも多い。2度目、3度目に離婚する理由も大体は前述のとおりですね・・・。
あと、最近は、離婚して、あとは好きになった相手と同棲して生活する人も多いです。こういう同棲の場合は分かれても「離婚」には数えられていないので、法律上結婚していないカップルの「離婚」まで数えたらまた本当にすごいことになりそうです。。。
あまりまとまりが無くなってしまいましたが、今回はこの辺で。
次は明るい話を書きたいと思います。